富山祥瑞の大福帳(読書ブログ)
「大福帳」とは,江戸時代に商屋で使われた金銭出納帳で,現在の簿記のように勘定項目を分けずに取引の順に書き連ねた経営活動の記録。
この発想に倣い,ジャンルを問わず読んだ書籍の記録を順次残していく知的生産活動の日記としていきたい。

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112:『案本(あんぼん)』 17:07
112「案本(あんぽん)」
「大人たちが,『経験』を持ち出さすのはヒキョーだ。たしかにそう思っていた。若い頃」の出だしで始まる『案本』。

作者の山本高史氏は,モト広告代理店・電通のアドマンで,現在は広告事務所を主宰する著名ディレクター。
広告代理店に棲息する「わからず屋の後輩ウエダ君」へのOJT(実地訓練)のかたちで,ビジネスにおけるアイディアのプレゼンテーション(提案)の在り方が綴られています。
それにしても,この人の文体はコミカルで且つ含蓄があるのです。なぜなのか? は「経験を溜め込んだ実績」の賜物であることが,読んでいくと納得できます。
ウエダ君への忠告「おい,居眠りするなよ」は,第2章までの随所に,キーフレーズとして一杯詰まっています。
作者と同世代の私が,本書の中で唸ったフレーズは ??
「広告の仕事は,クライアントに,さらにその先にある世の中に提案することだ(逆かもしれない。世の中と,その手前にあるクライアント)」(p.17)。(クライアント=依頼主)
「クライアントと対峙してどうする?(中略)プレゼンは,自分の考えをクライアントに了解させようというイベントではない」(p.40)。
「表現は,表現であること以前に,伝達である。受け手に伝わらなければ,選ばれることもない」(p.58)。

冒頭の「経験」の話にもどると「それから,ン十年,ひよっこも,立派に毛が生え揃って,最近少しハゲてきた。(中略)経験は,だれにでも黙っていても与えられるものではなかった。(中略)ため込むのだ。実は経験も能力だったのだ」(p.13)
ん? 「どうしてあのクライアントは,あんなにわからず屋なんですかねぇ」と愚痴をこぼしているウエダ君とは,作者自身の若い時の姿か! と,本書を読みながら,同時に私もウエダ君だったことを思い出しました。私も会社に入ったころ当時の上司から「奇をてらった発想を止めなさい」と言われても反論した傲慢者でした ?? なに考えてたんでしょうね。

「駆け出し損ねた,駆け出し時代(人に説教だけして,自分のことを言わないのは,フェアじゃないな)」で始まる第2章では,若いころ経験の脆弱さから全く発想ができなかった牛肉料理用ソースの広告表現。ここでは「肉料理」もターゲットの「主婦」も理解できなかった経験。自分と同じ20歳代サラリーマンを対象にした「小学館の昭和文学全集」の広告づくりが実を結んだという経験。「蓄積された経験データベース」の必要性,つまり「なにげなく『経験』を繰り返したところで,それは積み重ならない」(p.82)がとくに強調されています。

次の第3〜4章は,その経験の拾い方講座となっています。今から年齢を重ねていく若い人への先輩からの「いまだから出せる結論」メッセージ集となっています。
最終の第5章では,作者の「経験」を活かした作者のクリエイティブ作品が紹介されています(資生堂「サクセスフルエイジング」,トヨタカローラ「変われるって,ドキドキ」)。

やっぱり,本書に登場する逆ギレ・ウエダ君って,作者の若い頃の姿ではないかな。


『案本(あんぽん)』(山本高史,インプレスジャパン,2008年)1600円

[追伸]
ずっと前ですが,料理研究家の村上祥子さんから「生活経験の少ない若い建築家の方に『キッチン中心の家』の設計を依頼するのは難しいのです」といった内容の話を伺ったことがあります。そうなんだ! ここでも「蓄積された経験」をベースに,依頼主の「尺度」を共有できなければ設計は成り立たないのです。
かと言って「なにげなく『経験』を繰り返したところで,それは積み重ならない」(本文再掲),「同じように生きていたら,結局,長い時間を生きている年長者には敵わないということになりかねない」(p.125)。
経験を提案に結びつける能力開発は必須です。

この『案本(あんぼん)』は,新聞の書評(『朝日新聞』2008 5/25)を見て読みたくなった本です。書店に注文した時は,在庫が無く入手できませんでしたが,ネットのamazonから購入しました。
今は書店でも入手できると思います。
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