富山祥瑞の大福帳(読書ブログ)
「大福帳」とは,江戸時代に商屋で使われた金銭出納帳で,現在の簿記のように勘定項目を分けずに取引の順に書き連ねた経営活動の記録。
この発想に倣い,ジャンルを問わず読んだ書籍の記録を順次残していく知的生産活動の日記としていきたい。

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194:『シンプルだから,贅沢』 19:06

シンプルだから,贅沢(2)

 

● シンプルだから,贅沢

「部屋に何もないのがシンプルなのではありません」(p.95)。

「断捨離」を通り越し,さらに「ミニマリスト」なる何も持たないライフスタイルが注目されています。3年ほど前のリハウスを機に,家財等の2/3を処分した私ですが,しかし,生活感がないと落ち着かない私にはミニマリストは無理と悟ったのは2年ほど前です。

そんな折,たまたま駅の売店で購入したのが『シンプルだから,贅沢』,出張からの帰路に読み終えたものの,この半年ほど今度は寝る前に少しづつ読み返しています。根底に流れている思想は「粋である」(p.52)生活の勧め。日本的な考え方でしょうが,筆者はフランス人のドミニック・ホーロー女史,彼女は日本の「禅」「茶道の作法」に魅せられ,学び,日本文化の「シンプルだから,贅沢」を私たちに再発見させてくれます。

ちょうど自分の心境「時が経つほどに美しくなるもの」(p.121)への憧れと重なり,大袈裟ですが生活スタイルを再考する座右の銘となっています。物質的ともとれる「断捨離」や,これまでの「ミニマリスト」とは一味違い,本当の贅沢を味わうために「大切なものと丁寧に暮らす」(p.213)人生を提唱しています。

 

● 日常にうるおいをもたらす贅沢(p.84)

本書の最初の頁には「贅沢とシンプル,このふたつの価値観は,どの時代においても相反するものとされてきました。でもどうでしょう。生活がシンプルになればなるほど,その生活は,『贅沢なもの』と感じられるのではないでしょうか」(p.3)の問いかけ。縁あって,この本を手にした人なら共鳴する考え方ではないでしょうか。

作者は,贅沢を現代風に呼び変えたものが「こだわり」(p.81)と解しています。そして日々に「うるおい」(p.83)を与え「ご機嫌になれる」(p.87)日常の「くつろぎ」(p.95)スタイルとも。

いくつかの事例が紹介されています。鏤められているメッセージを本文中から抽出しますと ──

1)住まいは,小さくシンプルに(→ 何も無いのがシンプルではなく,お気に入りのものを配した空間)。

2)上質なものと暮らすと,よりシンプルになれる(→ 自ずから「多く」より「少なく」なる)。

3)数少ない所持品こそ最高の品質を求める(→ 上質なものは私たちを癒してくれる)。

但し,賢く贅沢に消費「お金の奴隷にならないこと,借金を作らないこと,そして必要最低限の生活が保証された老後」(p.70)。

 

● 安らぎの空間で,大切なものと丁寧に暮らす

「少ないお金でも,私たちは洗練された上質な生活が送れるのです」(p.71)と説きつつも,前述のように作者は「数少ない所持品だからこそ最高の品質を求める」(p.143)生活を勧めています。それは「『心地よさ』という尺度が贅沢の大きな基準」(p.145)に理由があるようです。

作者の宝物の一つ「急須」(=高価なものではないがお気に入り)を例に出し,決して高級ブランドが高品質とは限らないと述べた上で,所持品に関し随所に述べられている提唱は ──

1)多くの服を持つより数点だけに絞り,上質な素材を身に着ける。

2)プラスチック製と違い,使い込むほどに艶が出るもの(→ 漆器,ヒノキ風呂,コショウの木の俎板など)。

3)職人技に触れると自分まで豊かに(→ 革製品,柘植の櫛,竹簾,布団など)。

 

読者の私,若い時分にはスーパーマーケットの「より安く」「使い捨て」志向こそがシンプルなライフスタイルと盲信していたものです。つい少し前まで「忙しい」時間を送るのが充実した生活とも捉えていました。作者曰く「生活のテンポが速くなることに,私たちはあまりにも無抵抗すぎます」(p.175),安らぎの空間で,大切なものと,至福の時間を,丁寧に過ごしたい,と考えるようになった私もアラ還(=もうすぐ還暦)の世代です。いろいろ思うところが出てきました。

昔〜に読んでいれば・・・など通用しません。この年齢になったからこそ,読み応えを感じるようになったんだろうな! と思っております。私と同世代の方へ,お薦めの本です。

 

『シンプルだから,贅沢』(ドミニック・ローホー,原 秋子 訳,講談社,2016年)1200円

 

[追伸]

芸術新潮この本から,ずっ〜と過去に読んだ雑誌(1999年6月号の『芸術新潮』)のページが蘇ってきました。米国の写真誌『ライフ』のカメラマンも務めたアーネスト・サトウ(本名 佐藤善夫)の特集号です。

後に彼の京都芸大での助手となる森村泰昌氏の回想録では,アーネストの独自の美意識の一つとして「写真の引き伸ばし機」(=フィルム時代の写真焼き付け機)が紹介されています ── 一台何十万円もする引き伸ばし機を,基礎科目の授業で使い,普及品だったら同じ金額で何台も買える中,当然,周囲からの「学生たちに,何でそこまで高級な機材を与える必要があるんだ」との熾烈な摩擦に,彼は「学生だからこそ世の中にはこういう良いものがあり,それを使えばこれこれの結果が得られるということを知らなくちゃいけない」(p.32)と。

その意味が,遅まきながら20年の時を経て,分かってきたような気がする今の私です。

一脚

 

話は逸れますが,それでも当時から,アーネスト・サトウ特集号からは様々な影響を受けました。

「三脚を使いたいと思う者がいるなら,僕は一脚というものをお勧めする」「人間には立派な脚が2本ついている。これに1本加えれば,全部で3本,すなわち人間自体が三脚となればいいのだ」(p.23)。

記事からの一説ながら感化され,一脚も使っている私です。

影響を受けた分,当雑誌は処分することなく今も持っています。

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