富山祥瑞の大福帳(読書ブログ)
「大福帳」とは,江戸時代に商屋で使われた金銭出納帳で,現在の簿記のように勘定項目を分けずに取引の順に書き連ねた経営活動の記録。
この発想に倣い,ジャンルを問わず読んだ書籍の記録を順次残していく知的生産活動の日記としていきたい。

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193:『世界標準の家作り』 01:15

193:世界標準の家づくり

 

26年後,後悔しないために

「フランス86年,ドイツ79年,日本26年。なんの数字かわかるでしょうか?」から本文は始まります。

実は,同じ内容のメッセージは『間違いだらけの「日本」の家づくり』(blog.No.188)でも発されています。住宅の寿命の話です。「一生の買い物であるはずだった家が,26年しかもたない」(p.13)── そんなはずは・・・あるのです,国土交通省の試算です。

なんでそんな事態になるのかは,思い当たりますよね。「住み続けると少しずつ痛んできます」(p.11)── えっ,だったら欧米も同じでは・・・,いいえ「日本の家は,見栄えだけがいい化学製品でつくられています」(p.23),フラットな仕上がりのビニールクロスの内壁,薄っぺらなタイル調のサイディングとスレート瓦,合板の上に木肌風印刷の塩ビ製シートを貼り合わせた合板のドア,自然木に似せた合板や大理石のように見えるシート・・・,どれも仕上がりは綺麗です。

 

「完成した瞬間がいちばん美しい家。これが日本の住宅です」(p.24)

作者の松岡浩正氏は「なぜ日本の住宅の寿命がこんなに短いのかと突きつめていくうち,大事なことに気づきました」として「美しくないから,壊されるのです。そして美しくない理由は,工場で大量生産される化学建材を使っているからです」(p.24)と続けています。

あれっ,仕上がりが綺麗だったら美しいのでは・・・と思うところですが,決定打は ──「日本の住宅に欠けているのは,年月がたっても人から大切に扱われる美しさ」(p.30),簡単にメンテナンスできない化学建材があまりにも多く使用されている日本の住宅は「時間が経つとどんどん汚さを増し,安っぽくなっていきます」(p.29),経年美・愛着は得られませんよね。

私(富山)は若い頃,TV-CMでカッコよく映るハウスメーカーの,この見栄えのいい綺麗な家に惹かれるところがあったものです。一方で,モルタル塗り外壁や漆喰や砂の内装は,なんだか古臭くダサく感じたものです。アラ還(=まもなく還暦)の年齢になって,遅ればせながらも,本物の質感の風合いと,経年美の味わいが分かってきた私です。

工場生産による住宅の量産化が求められていた時代ならともかく,作者いはく「量的需要が満たされた現在,工業化された住宅は必要でしょうか?」(p.15)と。言い得て妙です。

 

家は将来,大量のゴミとなる

冒頭に書いたように,この本のメッセージは加藤伯欧 著『間違いだらけの「日本」の家づくり』と殆ど構成が同じです。様々な想いから,住宅会社を設立した動機も似ています。ヨーロッパに,住宅の範を見つけようとしたのも同じです。今回の松岡氏が行き着いたのは(加藤氏の南フランスではなく)ドイツであった点が違いでしょうか。

環境建築人・代表を自認する松岡氏の場合,さらに,新築当初のコストを下げるために「化学建材や石油製品でつくられた日本の住宅に,私たちつくり手はどれだけ責任をもてるでしょうか」(p.96),長持ちしない「産業廃棄物となるような化学建材をたくさん使った家であれば,廃棄時に環境に負担をかける」(p.2)と,次世代へ渡す環境への警鐘も鳴らしています。

本書の真ん中より後ろは『私たちのこだわり』を主眼にしたECO HOUSE株式会社の社是と具体的な施工方法が書かれている会社案内となっています。ここまで紹介の前半部分「日本の家づくりの問題点」は,今,工場で大量生産される化学建材にまみれたハウスメーカーでの家づくりを考えている人に読んでもらいたい内容ですね。でも,家を建てる世代って,素材とかより建築当初のコストを一番に意識する若い層なんですよね〜! 子育ても終え,もう大きな家はいらないとする年齢層が,小さな家を建てる文化に変わっていくと状況は変わっていくのかもしれません,『60歳で家を建てる』(blog No.187)のように・・・。

 

『世界基準の家づくり』(松岡浩正,現代書林,2011年)1500円
 

[追伸]

村瀬:本気で家を建てる紹介本では,化学建材が多用されている日本の住宅は時間が経つとどんどん汚さを増し愛着が得らず寿命も短いとする分析ですが,約20年前に買った生活者視点で書かれた本の内容が蘇ってきました。

読み返して見ると「錯覚住宅」見出しの本文には「新築住宅の重厚なローズウッドの玄関ドア。手をのばして触れた木肌がやけに冷たい。えっ? と思って見るとアルミニューム製だった ── とか。(中略)備後畳のように見える化学畳に座り,聚楽壁のように見えるビニールクロス壁にもたれ,吉野杉のように見える印刷天井を見上げながら暮らしている」(村瀬春樹『本気で家を建てるには』新潮社,1998年,p.120)。さらに「そっくりさん」事例として,無垢の桜材と思って購入したベッド,表面がペロン,実は下地材はパーティクルボード(木のチップや繊維を接着剤で固めた新建材)だった話を織り交ぜ,全日本そっくり大賞,と。そして,こう続きます ──「モノの寿命というのは“物理的寿命”だけではない。飽きる……という“心理的寿命”がある」(p.122)と。

20年の月日を経て,遅まきながら,本物と愛着の意味が分かって来た私(富山)です。

 

193:ドトール店舗[追伸2]

或る有名なコーヒーチェーン店,カップは紙製ではなく陶器製なんですが,内装はどの店舗も「木肌調のプリント板」── 店舗は短期で内装も替えるし経済効果的には理に適っているでしょう。

が,この経済感覚を,一生ものの筈の「住宅」に用いるところ,この「そっくりさん」を抵抗なく受け入れている多くの庶民感覚に,ニッポンの家の悲哀があるのかもしれません。

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