188:『間違いだらけの「日本」の家づくり』 | 15:52 |
● 30年サイクルでビルド&スクラップされる日本の家
本書の中に,びっくりするデータが紹介されています ── 国土交通省の示す住宅平均寿命の統計で,わずか26年の短期で解体されているのが日本の家です。
「築年数に左右されず,むしろ時間の経過とともに資産価値を高めている」欧米に対し,日本の家は「築年数で価値を下げ,30年で資産価値がゼロになってしまう」(p.158)哀れな現実です。
「今の日本の住宅業界と消費者が思っている『いい家』は,いい商品,いい製品かもしれないけど,本質的に『いい家』とは言えません。なぜなら時間の経過で価値が下がり,せいぜい一世代しか住むことができない」(p.3)と指摘するのは,作者・加藤伯欧氏,彼は栃木県で「ゆっくりとアンティークになる家をつくる」(p.55)挑戦をしているハウスビルダーの経営者でもあります。
● ちゃんとメンテナンスができる
加藤氏は,実質メンテナンスができない新建材の素材が「『メンテナンス・フリー』という一見良さそうな言葉に置き換えて宣伝・洗脳している」(p.59)世界的にみるとおかしい話を,次々に紹介しています。
日本の工業化された家は ──(1)木目調とかレンガ調とか,印刷や塗装でそれらしくしているサイディング仕様が90%以上(「続きを読む」参照),(2)石膏ボードを下地にした塗り壁風の塩化ビニールの壁紙,(3)木目がきれいに印刷された合板の床・・・(「続きを読む」参照),経年変化による味わいどころか,古くなるにつれて価値は下がっていく一方だと。
読者の私は,経費面から考えて(2)と(3)はどうにか許容ですが,どうしても(1)の外壁「○○調」となると受け入れができません。板の継ぎ目が,本物のレンガとの違いを象徴するサイディングボードの家並みを見るにつけ悲しくなります。「この家に住んでいる人は,気にならないのかな〜」と。
それと,窓の位置がアンバランスな外観の家も,気になって仕方ありません。この本では,間取りを先につくっているせいで,外側から窓を見ただけで,そこにリビングがあるとか浴室があるとかわかる『ネグリジェ・ハウス』(p.130)と酷評しています。またしても「この家に住んでいる人は,気にならないのかな〜」。
● ゆっくりとアンティークになる家をつくる
「人が『もう使えない,これは寿命だ』と言うとき,実はそこには『物理的寿命』『機能的寿命』『心理的寿命』という3つの要素」(p.28)の内「最終的に『モノの寿命』を決めるのは,『心理的寿命』」(p.90)と加藤氏は説いています。
加藤氏の会社(レジェンダリーホーム)で施工する家は,彼が南フランスを旅した時に魅了された家並みが範となっているようです ── このデザインは私の嗜好性とは随分と異なるのですが ──「素朴ながら今もって飽きの来ないデザイン」と「経年変化とともに味わいを増す素材」(p.38)の追究は,日本の工業化住宅には皆無でしょう。なぜなら「大きな企業が本当の意味で建て替えの必要のない建物をつくるはずもない」(p.51)とは,納得です。
日本の常識として「建物の価値は(時間の経過とともに)ゼロになってしまうと思っているので,余計なお金(メンテナンス)も掛けない」(p.177)慣習が,メンテナンス・フリーの新建材に踊らされ,ひいては家の心理的寿命を縮めていると分析しています。
加藤氏曰く「日本の場合,家を育て上げていくという感覚がきわめて希薄です」(p.166)と。
『間違いだらけの「日本」の家づくり』(加藤伯欧,ラピュータ,2014年)1500円(税別)
[追伸]
この本は,ある意味,社長である加藤伯欧氏のレジェンダリーホーム社の書籍スタイルを借りたカタログと捉えられなくもありません。それを差し引いても「素材的価値」と「デザイン的価値」が導く審美性の考え方には共鳴します。家に愛着が湧くようになり,資産価値を維持するメンテナンスに繋がるのは確かでしょう。
本書で印象深いフレーズは「価値の下がらないものは安い」(p.186)とする考え方です。
「私が常々思うのは,日本人というのはものすごく高い家に住んでいる(中略)家の価値が下がっても当然と思っているし,価値が下がってしまうものは高いということがわかっていない」(p.185〜186)。
「住宅展示場に行って,まずドアの閉まり具合などを見ている時点で,その人は本当の意味でのいい家を選ぶことはできないでしょう(中略)そんな精度は住宅の本質から考えると,まるで意味がない」(p.62〜63)。
(印刷によるレンガ調サイディング,不自然な継ぎ目が表出する) (表面に着色処理を施した合板フローリング)
読み終えて,ふと思い出した事があります。かつて『住宅建築』(1985年12月)に載っていた文章で,私は再録版(『住宅建築』別冊,1997年12月)で読んだ文章です ──「これ程までにいい加減な素材で住宅をつくり続けていては生活者の歴史を刻むことなど到底困難」「建物の寿命は飽きたら終わりである」「耐久性と耐用性,……用に応えられなくなった時,建物の寿命は終わる。建築の寿命は耐久性ではなく耐用性なのだ」。
今から20年前,気になって備忘ノートに貼付けていたフレーズです。20年を経て,住宅の専門家ではない私に,この文章の具体的な解説をしてくれたのが,当『間違いだらけの「日本」の家づくり』でした。