富山祥瑞の大福帳(読書ブログ)
「大福帳」とは,江戸時代に商屋で使われた金銭出納帳で,現在の簿記のように勘定項目を分けずに取引の順に書き連ねた経営活動の記録。
この発想に倣い,ジャンルを問わず読んだ書籍の記録を順次残していく知的生産活動の日記としていきたい。

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151:『バカの壁』 17:30
151:バカの壁

本書のまえがきには「あるていど歳をとれば,人にはわからないことがあると思うのは,当然のことです」とあります。自分が社会経験が無い時だったら,きっと理解できなかっただろうな! と思いながら,私はこの本を読み進めました。なぜなら,テーマは「バカの壁」なのですから・・・。
「バカの壁」の中に住むと,外の世界に対しての思考停止が起き,しかも本人たちにはその認識がない状況に陥る,と養老孟司氏は説きます。

『バカの壁』は,2003年出版時にベストセラーになった養老氏の著書のタイトルです。書名そのものは,その20年前に書いた本の中から採ったそうですが「ずいぶん極端な表現だと思われた」(p.3)いきさつがあるようです。出版年には,このフレーズ「バカの壁」が流行語大賞を受賞,それを機に日本語として定着しました。

壁の事例がいくつも紹介されていますが,中でも私の注目は「個性を礼賛するバカの壁」が蔓延しているとする指摘です。とくに第3章は「『個性を伸ばせ』という欺瞞」と一喝。
「『個性』とか『自己』とか『独創性』とかを重宝する物言いが増えてきた。文部科学省も,ことあるごとに『個性』的な教育とか,『子供の個性を尊重する』とか,『独創性豊な子供を作る』とか言っています。(中略)ひたすら個性を美化するというのはウソじゃないか,と考えることこそが『常識』だと思うのです」(p.43-44)。

同じような言葉を,漫画家の三田紀房氏が『個性を捨てろ! 型にはまれ!』(blog No.13)の中で語っていたのを強烈に思い出しました。
私の勤務先である教育大学でも,学生は「個性を伸ばす」という具体性が希薄なスローガンに惑わされがちです。教育実習の授業指導案にも「個性」という単語を安易に使ってしまいます。「個性」の尊重云々を唱えるよりも,養老氏は本書の随所で「共通了解」という言葉を用いていますが,共通性を磨くことが教育だと私は(というか常識的な教育関係者は)考えています。
では「『個性』というのはどこにあるのか。それは,初めから私にも皆さんにもあるものなのです」(p.49)と,養老氏。三田氏も個性なんてものは,親や教師がタッチせずとも勝手に育っていくと説いているではありませんか。

『バカの壁』(養老孟司,新潮新書,2003年)680円
[追伸]
現在の大学生の多くが「新聞を読む必要性はない」と断言する理由を,学生と一緒に考えていた際に出てきたキーワードが「バカの壁」でした。
それを機に,この年末年始に読んだのが,キーワードの語源ともなった『バカの壁』です。
新聞を「読む必要はない」とする根拠は,複数の新聞を読み漁ったり,他メディアとの精緻な比較検討からの結論でもないようです。私のゼミ生が調査した大学生の新聞購読率は6パーセントという惨憺たるものでした。「新聞に触れない」を日常とする壁の中からの発想に過ぎないと思えるのです。

「バカの壁」について,本書の最終頁には「向こう側のこと,自分と違う立場のことは見えなくなる。当然,話しは通じなくなるのです」(p.204)。ソクラテスの「無知の知」と同義ですが,やはり「バカの壁」の響きにはインパクトがあります。
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