富山祥瑞の大福帳(読書ブログ)
「大福帳」とは,江戸時代に商屋で使われた金銭出納帳で,現在の簿記のように勘定項目を分けずに取引の順に書き連ねた経営活動の記録。
この発想に倣い,ジャンルを問わず読んだ書籍の記録を順次残していく知的生産活動の日記としていきたい。

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192:『なぜトイレにドアがあるんだろう』 00:40

192:トイレになぜドアが

 

● 30年前からのメッセージ

かれこれ30年来のマイルールとして,本の見返しに購入年月日を記しています。『なぜトイレにドアがあるんだろう』には「31 AUG 1987」のスタンプがありますので,ちょうど30年前に入手した本です。書名からして,少し衝撃的です。

東陶機器(現 TOTO)は,1987年に創立70周年を迎えました ── となると,今年は100周年になりますね ── 当時,記念事業として「水まわりを中心に,近未来の快適な生活空間をつくってみよう」(p.01)とするプロジェクト 『アクア-ヒューマニア ’87』が企画されました。入社1年目のデザイナーから勤続20年の技術者まで,課を超えた全17名が結集されたチーム,その提案エッセンスを「どなたにも楽しく読んでいただけるように」(p.03)書かれた一般向けの書籍です。

私が社会人になりたての頃に購入し,今も持っている本の一つです。提唱されている「なぜトイレにドアがあるのだろう?」は,以来,私の住宅観に相当の影響を与えてくれました。

 

●「おしりだって,洗ってほしい」

衛生陶器は生活に密着しているとはいえ,かつては地味な産業だったように思い起こします。TOTOは1982年に,シャワートイレの広告「おしりだって,洗ってほしい」で一躍注目を集めた企業でした。TV-CMで女優・戸川 純から発せられたコピーは当時の流行語にもなりました(https://www.youtube.com/watch?v=858Dn5I5hLo)。この『ウォシュレット』登場は,水まわりの住空間を提案するTOTOの企業イメージを優勢に決定づけた出来事だったと記憶します。

 

192:ウォシュレット広告192:TOTO新聞広告
ウォシュレット広告(1982年)                 70周年 新聞広告 第4弾(1987年)

 

70周年記念事業を1年後に控えた1986年6月,プロジェクトに課せられたのは,展示会『アクア-ヒューマニア ’87』での展示製品は「モデルでもパネルでもなく,すべての機能を実際に作動させて提案」(p.32),しかも「三年後か,五年後に実現できるもの」(p.168)という条件下での「こういう暮らしがしてみたい」近未来のプレゼンテーション。

 

●「パーソナルルームのトイレにドアはいらない」(p.112)

メンバーは,水まわりを中心とした住空間に関し,本書によると次の5つのシーンを柱として掲げたようです。

公共の場における女性向けの新しいトイレのあり方

マンションにおける合理的・効果的な空間構成のあり方

一般住宅における高い利便性と快適性

シティホテルを利用するビジネスマンの客室

オフィスにおけるリフレッシュ空間の新しい方向性

 

このカテゴリーで登場するのが,書名の基となった「パーソナルルームのトイレにドアはいらない」の項目です。

「プライベートルームなんだからドアはいらないんじゃないか。だいたい一人で家にいるとき,トイレのドアを閉めて用を足す人は少ない。だったらドアをとってしまおう」(p.116)── この真偽は世間の傾向としてクエスチョンながら,当時,妙に納得したものです,わたしゃ。

ですが,本書は「〜ということになったがちょっと待て」と続きます ── 部屋にトイレを持ち込む発想ではなく「トイレに部屋を持ち込めばいいのだ」と ──「収納型の手洗器やテレビを組み入れ,電話を置いた。(中略)小型冷蔵庫や食器をおいてもかまわないが,それはまあ,お好みしだいというところ」(p.119)。ここまで来ると,私も引いた!

他に「リビングにバスがあってもいいじゃないか」(p.97)もあり,現今,実験住宅で散見される提案も載っています。

 

これらの提案から30年の歳月が流れました。書名でもある「なぜトイレにドアがあるのだろう」は,一般化しなかったように思いますが,5つのシーンの内の幾つかは,普及したり,後に人気商品となったものの今では消えた商品もあります。

昭和からの提案書,時を経て,読むのも愉しいものです。

 

『なぜトイレにドアがあるんだろう』

(TOTOアクア-ヒューマニア ’87プロジェクトチーム,現代書林,1987年)1100円(当時,消費税は未導入)

 

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191:『スモールハウス』 23:40


スモールハウス

 

● 実際,家って,もっと小さくていいと思う(p.18)

書名は簡潔な『スモールハウス』で,スモールの波に乗り遅れている住宅(p.18)を見直してみよう!  がテーマです。「お金がないから小さな家に住む,裏を返せば,お金さえあれば大きな家に住む」(p.14)の? 

作者・高村友也氏もスモールハウス生活している実践者ですが,経済の富国アメリカの先駆者を取材しつつ「スモールハウスに納まるくらいの所有物で生活する」(p.69)豊かな生き方への提唱が詰まっています。で,このスモールの度合いですが,読者の私は,以前に紹介した『9坪の家』(blog No.186)(正確な規模は1階が9坪,2階が6坪の床面積15坪(要は約50屐法あたりが適度だろうな,と考えるところです。

ところが,本書のサブタイトルは,何と目を疑う「3坪で手に入れるシンプルで自由な生き方」と来ました。3坪とは畳6枚分の約10屬留笋拆果明僉せ笋蓮い海海泙任蝋覆譴覆い福い箸癲

 

● やっぱり,家って大きすぎるんじゃないだろうか(p.98)

「僕らには,禅や茶道,近年の断破離ブームにも見られるような,シンプルなものに美しさを見出す精神的気質がある」(p.22)指摘には,何やら惹かれる気持ちはあります。

でも,やはり後半あとがきには,スモールハウスは「熱心な支持者もいる一方で,メディアの反応を見ている限り,恐いもの見たさ,珍しいもの見たさが半分入り混じっており,まだまだれっきとした市民権を獲得しているとは言い難く,いわば胎動期にある」(p.207)と作者自身にも消極論が見え隠れしています。

作者の提唱ともエッセイとも取れる文章を読みつつ,10屬適切か? はさておき,作者の住宅哲学には共鳴する呟きが多いのです。「贅沢と言えば,貴金属や,ブランド物の靴やバッグ,家電製品なんかを思い浮かべるかもしれないが,費やされている労働と資源の量からして,家は桁が違う」(p.140)と。確かに家は大きすぎるのだろうし,とんでもなく高額で,よって「生涯賃金を2億円と考えれば,その3分の1に及ぶ。一体,どうしてみんな,こんな状況に甘んじてるんだろう」(p.19)── 確かに,確かに。

 

●  今「小さな家」が注目されている(p.9)

実は,広義のスモールハウスムーブメントは「大きな家は必要ない」「小さくシンプルに暮らす」を指す社会現象と作者自身も冒頭で述べています。3坪前後の極端に小さな家は,その象徴に過ぎないようです。

日本の住宅(持ち家,戸建て)の延べ床面積は2011年で126屐聞馘攜鯆名福砲箸。需要のボリュームゾーンは子育て世代です。一方,数年後には半数以上になるのが「おひとりさま」と「おふたりさま」世帯です。ならば,家の大きさの固定観念から脱皮する拠り所として「『スモール』は元来,日本のお家芸」(p.20)に回帰できないものか・・・。

「貧しい時代,貧しい国では,何であれとりあえず蓄えておこうという本能が働く」(p.62)のですが,平和で安定した社会では「食料を大量に蓄えておくよりも,新鮮なものをスーパーに買いに行ったほうがいい」(p.62)考え方があります。街の至る所にコンビニやファミレスがある現今,究極は目指さないまでも,今の大きさの半分レヴェルの家を普通に考えるトレンドが来てもよさそうに思ったのが,本書の読後感でした。

 

『スモールハウス ── 3坪で手に入れるシンプルで自由な生き方』

(高村友也,同文館出版,2012年)1400円

 

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188:『間違いだらけの「日本」の家づくり』 15:52

間違いだらけの日本の住宅

 

● 30年サイクルでビルド&スクラップされる日本の家

本書の中に,びっくりするデータが紹介されています ── 国土交通省の示す住宅平均寿命の統計で,わずか26年の短期で解体されているのが日本の家です。

「築年数に左右されず,むしろ時間の経過とともに資産価値を高めている」欧米に対し,日本の家は「築年数で価値を下げ,30年で資産価値がゼロになってしまう」(p.158)哀れな現実です。

「今の日本の住宅業界と消費者が思っている『いい家』は,いい商品,いい製品かもしれないけど,本質的に『いい家』とは言えません。なぜなら時間の経過で価値が下がり,せいぜい一世代しか住むことができない」(p.3)と指摘するのは,作者・加藤伯欧氏,彼は栃木県で「ゆっくりとアンティークになる家をつくる」(p.55)挑戦をしているハウスビルダーの経営者でもあります。

 

● ちゃんとメンテナンスができる

加藤氏は,実質メンテナンスができない新建材の素材が「『メンテナンス・フリー』という一見良さそうな言葉に置き換えて宣伝・洗脳している」(p.59)世界的にみるとおかしい話を,次々に紹介しています。

日本の工業化された家は ──(1)木目調とかレンガ調とか,印刷や塗装でそれらしくしているサイディング仕様が90%以上(「続きを読む」参照),(2)石膏ボードを下地にした塗り壁風の塩化ビニールの壁紙,(3)木目がきれいに印刷された合板の床・・・(「続きを読む」参照),経年変化による味わいどころか,古くなるにつれて価値は下がっていく一方だと。

読者の私は,経費面から考えて(2)と(3)はどうにか許容ですが,どうしても(1)の外壁「○○調」となると受け入れができません。板の継ぎ目が,本物のレンガとの違いを象徴するサイディングボードの家並みを見るにつけ悲しくなります。「この家に住んでいる人は,気にならないのかな〜」と。

それと,窓の位置がアンバランスな外観の家も,気になって仕方ありません。この本では,プランを先につくっているせいで,外側から窓を見ただけで,そこにリビングがあるとか浴室があるとかわかる『ネグリジェ・ハウス』(p.130)と評しています。またも「この家に住んでいる人は,気にならないのかな〜」。

 

● ゆっくりとアンティークになる家をつくる

「人が『もう使えない,これは寿命だ』と言うとき,実はそこには『物理的寿命』『機能的寿命』『心理的寿命』という3つの要素」(p.28)の内「最終的に『モノの寿命』を決めるのは,『心理的寿命』」(p.90)と加藤氏は説いています。

加藤氏の会社(レジェンダリーホーム)で施工する家は,彼が南フランスを旅した時に魅了された家並みが範となっているようです ── このデザインは私の嗜好性とは随分と異なるのですが ──「素朴ながら今もって飽きの来ないデザイン」と「経年変化とともに味わいを増す素材」(p.38)の追究は,日本の工業化住宅には皆無でしょう。なぜなら「大きな企業が本当の意味で建て替えの必要のない建物をつくるはずもない」(p.51)とは,納得です。

日本の常識として「建物の価値は(時間の経過とともに)ゼロになってしまうと思っているので,余計なお金(メンテナンス)も掛けない」(p.177)慣習が,メンテナンス・フリーの新建材に踊らされ,ひいては家の心理的寿命を縮めていると分析しています。

加藤氏曰く「日本の場合,家を育て上げていくという感覚がきわめて希薄です」(p.166)と。

 

『間違いだらけの「日本」の家づくり』(加藤伯欧,ラピュータ,2014年)1500円(税別)

 

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187:『60歳で家を建てる』 16:14

187:60歳で家を建てる*

 

● 「俺たちはシニアじゃない」

書名『60歳で家を建てる』──(リアル)書店で見かけた時,正直「爺(じじ)臭い本だな!」と思いました。そんな年齢で家を建ててどうするの! って。

頁をパラパラめくると,作者で建築家の湯山重行氏は「(やがて)立派なアラ還だ。昭和の時代なら定年退職して隠居生活に入る年齢ということだ,まいったな」(p.12)と書いています。「アラ還」とは「アラウンド還暦」だそうで60歳手前の世代を差すようです。私には無関係と思っていましたが,湯山氏同様,まさに私の世代を指すようです。でも,こうも続きます「ミーハーでフットワークが軽く,バブルを経験した新人類世代のシニア予備軍」(p.13)と。

1980年代始めに「新人類」と呼ばれた私たちも,今やアラ還です。

「理想は50代から計画する」「60歳から80歳にかけての20年が,『家を建てたからこそハッピーに過ごせた』というエピソードを残せる家にしたい」(p.34-35)と,同世代に向けての指南書が,当『60歳で家を建てる』。

 

● 「必要十分なコンパクトハウス」

TV番組『大改造!! 劇的ビフォーアフター』の建築家も務めた湯山氏は「『減築』という言葉を広めたパイオニアのひとりが,実は私である」(p.132)と自負しています。そう,つまり「不要となったモノと分れて,住まいごとコンパクトにすれば,軽やかに新しいことにチャレンジできる環境が自然と整う」(p.30),もう大きな家は要らない考え方です。

湯山氏は実際にローコストの平屋『60(ロクマル)ハウス』を設計図と供に企画・提唱しています(p.83-108,オプション編=p.109-130)。が,読者の私の興味は,そんな規格住宅の具現化ではなく,彼の「人生にはステージに応じたライフスタイルがあり,ステージごとにふさわしい家に住むことで,より満ちた生活が送れると考えている」哲学的な住宅論にありました。

 

●「60歳で家を建てると,人生が変わる」

湯山氏は「『断捨離』を通り越した『ミニマリスト』なるものが出現している」(p.153)と,今の住まい方トレンドを上手く表現しています。

私も「断捨離」(提唱者やましたひでこ氏の登録商標にもなっているようですが)までは理解できるものの「モノに振り回されず心の豊かさを追求し,無駄と思えるモノを極限にまで排除して生活」するミニマリストには,元来の蒐集癖もあり,なれそうにありません。目指してはいるのですが・・・。

作者の提唱する「適度に整理」「部屋を使いこなしているぞ感」「必要となる道具が適所においてあり,その道具ひとつひとつが機能美に溢れ」(p.155-157)が味わえるコンパクトハウスには,この年齢になって,もの凄く憧れてきました。

 

湯山氏曰く「大企業では65歳が定年になりつつあり,60歳はまだまだ現役でバリバリ働ける年齢になった。還暦という節目が薄れつつ,ただの通過点になる感があるが,人生80年と考えれば,残りは20年。最終コーナーを回り始める大事な節目なのだ」(p.15)をリアルに感じつつ,また今,本気で,住宅の普請を画策している私です ── 勿論「小冒険のためのベース基地になるべく,人生の身の丈に合った『自分サイズの家』」(p.20)です。

愉しそうでしょう!

その大きな引き金になったのは,前々回に紹介 ── 『書庫を建てる ── 1万冊の本を収める狭小住宅プロジェクト』(blog No.185)であったのは言うまでもありません。

 

『60歳で家を建てる』(湯山重行,毎日新聞出版,2016年)1500円(税別)

 

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186:『9坪の家』 20:56
9坪の家

 

●「小さいことが,ポイント」の家

購入が2001年10月ですので,書棚に「積ん読」こと14年,やっと今の自分の波長と同期化したようで,この秋に読み終えたところです。ブログも超久しぶりの投稿です。

 

都庁の隣・新宿パークタワーに「リビングデザインセンターOZONE」なる住宅の博物館のようなショールームがあります。OZONEの展覧会『柱展』(1999年1〜2月)で再現されたのが,建築家・増沢 洵氏(1925〜1990年)が「最小限住居」を提唱し,実践した自邸(1952年)の「柱と梁」。

「本当にその状態は美しかった」(p.3)らしく,展覧会の担当者(キューレター)だった萩原 修氏が,会期中に「ぼくは良からぬことを考えてしまった」(p.3)ところからストーリーは始まります。

会期が終わったら捨てる運命の柱梁を引き取って,自分の家をつくってみよう,この家づくりストーリーが本書です。執筆当時(1999年),萩原氏37歳,かみさん37歳,子どもはスミレ8歳とアオイ6歳,家族4人の住まいです。

書名の「9坪」とは3間×3間(1間=約1.8m)の建坪を指し,具体的には1階が9坪,2階が6坪の床面積15坪(要は約50平方m)で「小さいことが,ポイント」(p.20)の家です。

 

● 増沢洵氏(1925〜1990)の自邸「最小限住居」

OZONEは住宅に関する興味深い企画展を開催しており,私も鑑賞の目的だけに上京したこともあります(「柱展」は見ていませんが)。『柱展』に増沢邸の柱と梁の再現展示が決定したのは会期前3か月だったようで,萩原氏は増沢 洵氏の住宅思想を咀嚼,オープニングレセプションの時に「まさか,自分が引き取ることになるとは,夢にも思わなかった」(p.73)ほど,展覧会の設営に没頭していた様子が文章から窺えます(この様子は第2章)。

柱梁を引き取ることになった萩原氏ですが,何と問題は『柱展』が会期を終えるまで「あと1ヵ月で土地を見つけなければ,何も始まらないのだ」(p.96)。そう,萩原氏は,土地が無いにも関わらず,再現・増沢邸の柱と梁,そして増沢氏の住宅思想に惚れ込んだのでした。

「土地はどうやって探したらいいのか。学校でも家でも,土地の探し方については教えてくれなかった」(p.100)──  確かに,そうですよね。契約に至るまでの悪戦苦闘ぶりと,初めて組む銀行の住宅ローンの体験談が第4章と5章です。「なんだか,とても疲れたが,いろいろ勉強にもなった」(p.148)。

 

● 生活と住まいのおりあい

当初「原形である増沢さんの自邸の良さを学びながら,生かしながら,ぼくら家族4人が住む家として,現代風に再現すればいのだ」(p.6)と思っていたようですが,設計の段階で改めて『生活と住まいのおりあい』(p.178)ってなんだろう? と多面的に分析した哲学が,本書の後半を占めています。

今でこそシンプルライフが謳われていますが,16年も前に「あってあたりまえのモノも,自分たちの生活に本当に必要かと疑ってみる必要があるのかもしれない」(p.196)と,とても先駆的な住宅哲学が書かれています(第6〜最終の9章)。

 

竣工は1999年10月,もう16年が経つのですね。出版(2000年)から15年を経ての私の今回の読書は,萩原氏の自邸ストーリーなだけに「今のスタイリングは?」をイメージしての時間でした。「お金もないせいもあるが,家を建てた残りの土地は,しばらく何もしないことにした」(p.245)当時の土だけの庭にも,木々が茂っていることでしょう。「積ん読」は時として,時空を超える事ができるのですね。

 

『9坪の家』(萩原 修,廣済堂,2000年)1400円(税別)

  
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185:『書庫を建てる』 16:09
185:書庫を建てる

 

● 施主と建築家,それぞれが描く家づくりの物語

こんなにも臨場感に溢れ,私にとっては読み進めるのが楽しくて楽しくて仕方のない実話でした。

書名こそ『書庫を建てる』ですが,この「阿佐ヶ谷書庫」(p.182)の用途は「書庫と仏壇の家」(p.69)。筆者は二人,施主のおいたちから派生する実家のメモリアル,8坪の極小敷地の建物設計と闘う建築家とが,交互に章を建て一つの小さな建物の竣工に至るプロセスを綴っています。
建築家曰く「自分の20年間の設計活動そのものを見つめ直すことにつながる」(p.25),この書籍の上梓そのものも,また「作品」と位置づけられましょう。
 

● 書庫と仏壇の家

施主は東大教授の松原隆一郎氏,神戸の旧家に在ったアルバム写真をきっかけに,これまで意にも介さなかった祖父の昭和初期からの足跡を辿るところから始まります。

祖父の息子,つまり父親との疎隔をも紹介しつつ,戦後三世代目の「イエ」を継ぐ制度の社会的な矛盾が,父親が亡くなったのを機に現実的になります。「長男が実家から離れて職を持つとき,『家』はどうなるのか」(p.23)。松原家の唯一の財産である実家を兄妹で相続した後,妹たちも郷里に住んでいない状況もあり,実家を売却したのが2010年。
問題は長男の松原氏が引き継いだ行き場がなくなった「仏壇」,そして「思い出のモノ」を遺す方策です。当初は漠然と実家近くに「中古マンションを購入し,仏壇を置こうという案」もあったようですが,現実案として「『松原のイエ』の鎮魂をも目的とする『書庫と仏壇の家』を阿佐ヶ谷で探し始め」(p.68)ます。
ここまでで,総221頁の本の1/3を占めます。松原氏が「回り道におつきあい願わねば」(p.23)と記す本編の前振りです。
 
185:書庫を(口絵)
● 1万冊の本を収める狭小住宅プロジェクト

住居に近い阿佐ヶ谷での格安中古住宅探し,相続した遺産の金額に加え銀行ローンを組んでの新築も考慮している中,半年後に見つけたのが「土地面積8坪(=28.7平方m,建蔽率80%,容積率300%)」の超狭小敷地。親交のあった建築家・堀部安嗣氏に,1万冊の本と仏壇を収める建築プランを依頼します。新たな建築ですから「この先9年ほどで定年を迎えてから後も,なんらかの仕事を続けなければならない」状況の松原先生,「自宅と研究室の本を整理し書庫の家に運び込んで,今後はそこに通い仕事をする」(p.120)人生が見えてきたそうです。「自宅は『暮らし』のためだけ」そして「ホテルのような仕事場」(p.121)とは,読者である私自身が超憧れるスペースの構想です。

この「まだ見ぬものを追い求めてのスタディー」(p.145)のプロセスと施工までの顛末が,ストーリーの後半です。
「本当にこの小ささで大丈夫なのだろうか」(p.192)というストレスを建築家に伸しかけながらも,2013年の2月の完成後は,見事に書籍のジャケットと口絵を飾っている『素晴らしい空間』(建築家に施主が寄せた言葉)です。

私も,自宅とは別の狭小アトリエの施主になりたい! と真剣に考えるようになりました。それほどまでに影響を受けました。

 

『書庫を建てる ── 1万冊の本を収める狭小住宅プロジェクト』
(松原隆一郎・堀部安嗣,新潮社,2014年)1900円(税別)
  
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134:『無限を求めて ── エッシャー,自作を語る』 16:32
『エッシャー,自作を語る』
勤務校の担当授業で「平面の正則分割」という数学と美術の融合みたいな実習を今年度前期に試みました。
何やら難しそうな響きの「平面の正則分割」ですが,要は,一つまたは幾つかの形状を繰り返し組合せて平面を隙間なく埋め尽くすタイル貼りのことです。
ん〜,コトバにすると,かえってややこしい! ならばM・C・エッシャー(Escher:1898〜1972年)の作品を想い浮かべてください。
え,え〜,エッシャー? 名前は知らなくても,爬虫類とかがピースになった敷き詰めパズルの世界なら,きっと見覚えはあると思います。パズル世界のほか,逆さに水が流れる宮殿の平面作品とか・・・(下記「続きを読む」参照)。「1951年にエッシャーに関する記事がアメリカの有名な新聞に載った」ことで,無名の貧乏画家(版画家)から一挙に人気作家になりました。

目下,この「平面の正則分割」をテーマとした授業展開の実践報告書(→「美術教育における数学からの教材展開 ── エッシャーに挑戦」)を書くために,改めてエッシャーの造形思考を紐解いているところです。その参考文献としているのが,この『無限を求めて ── エッシャー,自作を語る』。
書名の通り,本書はエッシャー自らが綴っています。アメリカに招かれた1964年の講演会でのスピーチ原稿やスライド等も,すべてキチンと遺しています。ヨーロッパからアメリカへ飛んでの講演旅行だったのですが,この講演はエッシャーの体調不良で幻に終わっているようです。
本書(原書,1986年)は,このスピーチ原稿(「実現しなかった講演会」)と,それを基底に発展させたテキスト,また無名時代(1940年代)に内輪の雑誌への寄稿文等で構成されています。これらが図版付きで再録されている貴重な史料です。
発想の源が1936年に「スペインにあるアルハンブラ宮殿の,鮮やかな色彩タイル」であったこと,数日かけてその壁画を模写したことなど,思考の扉となったシーンも教えてくれます。
彼は作品の源流となる数学的な造形をこつこつ研究するとともに,その体系をこうして文章で綴っていますので,エッシャー自身の造形思考プロセスをリアルに追うことができます。

授業展開時は偶然にも『エッシャー展』が名古屋市内で開催されていました。市販本ですが,その会場で私は購入しました。
数学をベースとした造形(数理造形)に興味のある人,または造形をベースとした数学に関心のある人には,かなり読み応えがある本だと思います。


『無限を求めて ── エッシャー,自作を語る』
(M・C・エッシャー,坂根厳夫/訳,朝日選書,1994年)1500円
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116:『建築プレゼンの掟』 19:11
116「建築プレゼンの掟」
大学生にとっては4年間の集大成,私にとっては毎年のサポートとなる「卒業制作」が,締め切り間近になってきました。「プレゼンテーション」つまり,見る人に「伝達」(「伝えたい」ことが相手に「達する」)する仕掛けは,ここでも重要です。
「見る眼がある人が観れば,理解できる」とか「わかってくれる人だけに伝わればいい」という考え方は間違いだと,多くの組織人は考えています。
他者が理解できる表現と,それに至る思考を伝えることの重要性,それを諭した若者向け書籍としては,当ブログの中では『案本』(
blog No.1122008 11/26)や『自分クリエイト力』(blog No.111,2008 11/17)や『広告コピーって こう書くんだ! 読本』(blog No.88,2008 5/26)がありました。

今回紹介の『建築プレゼンの掟』では,表現を伝える実践例を各建築家やデザイナーが披露。著名ショールームや公共的建築物が世に出る前のプロセスと,プレゼンテーションにかけた想い,プレゼンの勘所を,10名の作家が語っています。普段,絶対にお目にかかることの無いプレゼン時の作品も写真で見ることができます。

「建築プレゼンの掟」(掟01)
いわば「秘伝」の「公開」か! この本では10の掟が公開されています。
中でも私が印象深かったのは「作家性は必ずしも最終的な作品のテイストにあるのではなく,条件や制約に対するソリュージョンの中に見出せる」(p.68)と,着眼の重要性と思考の深さを感じてもらう姿勢を語った永井一史氏(アートディレクターで,建築家・中村拓志氏との対談中)のフレーズ。

最後は「自らの新しい掟を探すために」と題した編集者・高橋正明氏のメッセージで締められています。
「もはや『まず作品ありき』という言葉だけをエクスキューズに,作品や自己を語ることをなおざりにしたり,作家性を押し通したり,自己韜晦してはいられない。建築を学ぶ学生も,教師とのあうんの呼吸で考えを理解してもらえるのは,学生時代までと知るべきで,社会に出た途端に遭遇する現実とのギャップは,卒業までに小さくしておくのが賢明だ」(p.179)。(韜晦=going my way)

デザインの世界で舞台裏(メイキング)や思考プロセスを開示するケースは,最近でこそポピュラーになってきましたが,この傾向を牽引してきたのは,やはり建築業界だと私は思っています。その意味で,私は以前から建築関連の書籍には興味を持ってきました。
編者曰く「これを契機として『新しい掟』が各自各様に見いだされ,あるいは体得させれば幸いである」(p.183)と。

『建築プレゼンの掟』(高橋正明/編,彰国社,2008年)2500円
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110:『空が青いと海も青い。』 14:48
110「空が青いと海も青い。」(本)
難しい本の紹介が多くなってきた,という声が聞かれることもある当ブログです。
ならば! と,今回は絵本です。
「ブルーノ・ムナーリ展」については以前に当ブログ(blog 番外編09 '08 9/25)に書きましたが,この展覧会で段ボールを用いた展示ケースを設計したのが駒形克己氏。ブルーノ・ムナーリに影響を受けた造形作家ですが,その遊び心を受け継いだ駒形氏のパズル絵本が『空が青いと海も青い。』です。

一枚の紙に切れ込みを入れ,単純に折っていくだけで,頁もの絵本が製本されていく仕組みは,数学的には当たり前なんだけど思いつきません。頭の中で考えずに,実際に展開していくと納得するのですが,今度は,その展開図を頭の中でトレースするのは難しい。
くり抜いたイラストが,計画された裏面の色に透かされる仕組みも唸ってしまいます。

110「空が青いと海も青い。」(本)
大学生の頃に,私にブルーノ.ムナーリの絵本を教えてくれた友人から,一枚の紙を折っていって冊子を作る技を教えてもらった(でも,メモしていなかったので散霧)ことがあります。なんだか,こんな感じだったような・・・(でも,その時のは真ん中が空洞だったような)。

くり抜き効果まではナカナカ考えきれませんが,この製本のカラクリ工夫は何かの教材遊びで真似したいところです。
奥付を見ると普通は[製本]とあるところが[加工]と記されている「絵本」です。


『空が青いと海も青い。』(駒形克己,ONE STROKE,1995年)714円
http:www.one-stroke.co.jp
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87:『団地の見究』 15:03
「大団地展」チラシチラシ(クリックすると読める程度に拡大可)

上に挙げたチラシですが,一昨年,私が行きそびれた展覧会『大団地展 ── 高蔵寺ニュータウン再発見 ──  』(主催/財団法人かすがい市民文化財団,後援/愛知県春日井市教育委員会)です。
私は「公団がユニークな展覧会をするものだ!」と勘違いしていました・・・この本を手にするまで。
チラシに「住宅都市整公団 カモ」(鴨は当時の公団キャラクター)と書かれているのを「住宅・都市整備公団」と読んだのでした(本家の「住宅・都市整備公団」とは,現在の「都市再生機構」)。

「団地の見極」(表紙「団地の見極」(本文

観損ねた『大団地展』の,ベースとなった団地考現学が,本書『団地の見究』。
著者も同じデザイナー・ユニット「住宅都市整公団」(大山 顕,長野 修一)による「1997年から10年にわたり『見究(けんきゅう)』してきた高層団地たちの一部を紹介」した本。只だ只だ,彼らの撮った48団地(都営等もあり公団だけではない)の写真と,一見,学術的な分析レポートを真面目に味わう社会学の本です。

民間の分譲マンション(三菱地所や三井不動産などの)と違い,供給サイドの視点で作られた無機質なのが「公営団地」の志向で,まさに「只の大きな箱」のイメージです。
しかし本書の「FORM:フォルムに注目すべき団地」「TEXTURE:テクスチャに注目すべき団地」「COLOR:カラーに注目すべき団地」の分類に沿って観ていくと,実はひとつひとつ味があったことが判ります。この見極力を公開した,真面目に楽しい「なんじゃこりゃ」写真集です。
帯にあるように「あなたの好みの団地がきっとみつかる!」には,どうしても至りませんでしたが・・・。


『団地の見究』(大山 顕,東京書籍,2008年)1900円
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