富山祥瑞の大福帳(読書ブログ)
「大福帳」とは,江戸時代に商屋で使われた金銭出納帳で,現在の簿記のように勘定項目を分けずに取引の順に書き連ねた経営活動の記録。
この発想に倣い,ジャンルを問わず読んだ書籍の記録を順次残していく知的生産活動の日記としていきたい。

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184:『本で床は抜けるのか』 15:03
本で床は抜けるのか

 

●  まさに書名買い(amazon)した本

先日,facebook上で知人の書き込み ──『本で床は抜けるのか』の本の題名を見て心配になり本の整理をした ── が目に入ってきました。私にも書名の印象が強烈で,すぐにamazonで書名買いしました。

「本で床は抜けるのか」── 言葉としては聞きます。が,ホント〜に抜けるのか? 作者・西牟田靖氏の職業はルポライター,自宅近くに資料本の保管用に,築50年と古い木造アパート(2万5000円/月)を借りた2012年3月から本編ストーリーは始まります。

木造アパートの「床が抜けてしまうかもしれない」(p.12)不安を抱えつつ,作者自身が気になり出した事そのものが,取材と作者自身の体験で綴られています。

最後の2014年春の出来事は,寧ろテーマそのものではなく,読者としては想定外の結末でした。作者は書かずにはいられなかったのかも? ── いや,逆に書名の意味が込められているのか? ここは実際の読書で辿ってください。

 

● 木造住宅は1平米あたりの積載荷重180キロ,RC住宅で300キロ

西牟田氏は「床が抜けてしまった人たちを探しにいく」(p.29)のですが,真相の多くは盛った話,あるいは地震や床の腐れなど本そのものの影響ではなさそうです。「いったいどれが本当なのだろうか」(p.33)。

本当の所は分からないまま,取材は『捨てる女』(blog No.178)の内澤旬子氏に。彼女は「いつか読めたらとか,書けたら書きたいなんて資料を持っているのがバカバカしくなってしまった」(p.66)と。さて,彼女が,この業の中で得たものと,失ったものは・・・。

とは言え,この聞き出しは,読者の私には,本に限らず雑多な資料類の「断捨離」の後押しにもなりました。

 

● で,本当に抜けたものは・・・

中盤からのテーマ「持ち主を亡くした本はどこへ行くのか」の章(p.80〜)以降は,実に物悲しい。著名な作家や学者ですら,没後は「たいていの蔵書は売り払われたりして散逸してしまう」(p.85)ほど,本の末路は幸せでないようです。「遺族にとって残された本はゴミでしかないんです」とは,メディアや文壇での信頼が厚い蔵書整理を請け負う古書店主の談(p.102)。

となると,本書の展開としては「自炊(=スキャンによる書籍の電子化)」のルポが,ド〜ンと登場しそうな様相ですが・・・そうでもありません。ここからが本書の後半戦となります。確かに,それ相応の理由で電子化に踏み切った取材先もあります。でも,書庫を作った人もいます。

書籍だけではなく,先祖の仏壇,家系の写真,実家の樹木をアーカイブスとしても移動させた「狭小物件のコンクリート円形書庫」を建設した大学教授 ── 自分の今と,先祖の居場所を「書庫建物」とした実例紹介は,現代の相続問題の解決の一つとしてリアリティが在り有りでした。

 

で,「本で床は抜けるのか」の真相は不明に終わるのですが,実は,本当に抜けたものは・・・。

 

『本で床は抜けるのか』(西牟田 靖,本の雑誌社,2015年)税別1600円

 

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178:『捨てる女』 18:45
178:内澤旬子『捨てる女』

● 断捨離
「断捨離」は,今や提唱者やましたひでこ氏の登録商標となっているようですが,この『捨てる女』── イラストルポライター内澤旬子氏の「なんでも貰う拾う集める貯める暮らしから,捨て暮らしに一転した私の人生」(p.35)を綴った断捨離の実践エッセイです。
内澤さんといえば『印刷に恋して』(blog No.22)では魅力的な挿絵を担当,私の中で,すぐにイラストの画面が思い出されるほど印象深い方です。
捨てまくりの着火点は2007年だとか。なにもかも捨てられない,父親譲りとも思われる体質が,作者が「ホルモン療法ののぼせ機」(p.72)と記す癌の治療で「ごちゃごちゃしたところ,風通しの悪い日陰,地下などにいると,発作とまではいかなくても,いやーな感じに襲われ,息苦しくなってしまった」(p.21)のが行動の転機。
以前に紹介した『わたしのウチには,なんにもない』(blog No.175)での契機は東北大震災でしたが,捨てまくりには,(不謹慎な言い方ですが)外圧は不可欠なのかもしれません。

● トイレットペーパーに頼る生活も捨てた作者
人間,捨てる事まで考えるのは苦手です。作者は「そもそも放射性廃棄物の処理の仕方も考えずに,なんでこんなもん(原発)をボンボコ作っちまったのか。(中略)後先考えないにもほどがあるぞ,人類」(p.178)と。
作者の断捨離の実践例は,現代文化の諸処にも及びます。震災を機に買い占めでムカツいたトイレットペーパー ──「こちとらおまえなんぞいなくとも,ちいとも困らんわいっ」(p.142),と「『尻を紙でぬぐう』という習慣をひとりでうち捨てる決心」を。原発事故を起こした「東電に払う電気代を減らしたい一心」(p.140)もあり,ウォシュレット(一般化してますが正確にはTOTOの商品名)ではない解決策を披露。各国のトイレ事情を取材したルポライターならではです。
作者の断捨離は,モノというより精神面のリフレッシュ描写が多彩です。

内澤旬子90pix
● 自称「投げ捨て展覧会」
後半,やっとモノ系の話が登場します。
本は増え続けるもので一向に減らないものです。作者の場合,さらに「仕事をして生きていくだけで増え続けるイラスト原画問題」(p.196)もあったようです。はじめのうちは雑誌に載ったイラスト原画はうれしくてファイリング,二十年以上すると「こいつら一生とっておいてどうすんのかなあ」(p.195)の心境に。
「どうにもならない過去の原画とずっとこの先も一緒にいる苦痛」(p.218)からの解放策として「本当にいいの?」の声を振り切り
,企画されたのは凄い量の「イラスト原画展+そのまま即売会」,ついでの蒐集本の大放出 ── この展覧会情報私も知っていれば素敵なイラスト原画を買ったのに・・・と,残念です。
イラストルポライターの本にしては,今回イラストが少なめですが,展覧会のポスター(クリック拡大可 →)が掲載されていました。展示会の様子はブログ「内澤旬子 空礫絵日記」にもアップされています。

『捨てる女』(内澤旬子,本の雑誌社,2013年)1600円
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158:『ふかいことをおもしろく』 15:24
「ふかいことをおもしろく」

「むずかしいことをやさしく,やさしいことをふかく,ふかいことをおもしろく,おもしろいことをまじめに,まじめなことをゆかいに,ゆかいなことをいっそうゆかいに」とは,井上ひさし氏(1934〜2010年)の名言ですが,この一節を題名にした自伝です。

ずっと前に何かの本で読んだ記憶もありますが,1950年代後半,ラジオドラマの懸賞応募に書くのが楽しかった井上氏にとってのライバルは,どうしてもかなわなかった藤本義一氏であったことが,当書でも語られています。その後,お二人とも直木賞を受賞しました。
多くの懸賞応募が起用のきっかけとなった井上氏のレギュラー番組といえば,私が幼少期に見ていたNHKの連続人形劇『ひょっこりひょうたん島』(1964〜1969年),情景や台詞まで今でも覚えているほど強烈な印象です。若き井上氏が,この人形劇の台本(共作)を書いていたのを知ったのは,随分と後になってからです。

井上氏のふるさとは山形県川西町であることが冒頭に書かれていますが,父親が亡き後に母親が移り住んだのが岩手県釜石市で,井上青年はこの地で最初の就職をします。「海のそばで,街は鉄と魚ですごく賑わっていて,映画館もたくさんあるし,芝居も見られて,母もいる。釜石は,僕には思いのほか居心地がよかったのかもしれません」(p.57 )。

岩手県釜石といえば・・・今年3月11日に東北大震災で大きな被害を受けた地域です。
井上ひさし氏は2010年4月に永眠しましたが,本書は2007年9月20日に放送されたNHK BSハイビジョン番組をもとに書籍化,亡くなる2年半前のメッセージです。ところが,巻末には,震災から発生した原発事故への人間の反省ともとれる「100年後の皆さんへ,僕からのメッセージ」が付いています(「続きを読む」に写真)。

「(前略)できたら100年後の皆さんに,とてもいい地球をお渡しできるように,100年前の我々も必死で頑張ります。どうぞお幸せに。井上ひさし」(p.117)

『ふかいことをおもしろく』(井上ひさし,PHP研究所,2011年)1100円
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148:『人生二毛作のすすめ』 13:31
人生二毛作
最近は,人生訓を綴った本の作者が私と同世代人である事も珍しくなくなってきました。人生訓は作者より若い層へのメッセージですから,私にとっては臨場感がある指針にはなりません。
ところが「ことし,87歳」と語る,あの『思考の整理学』の作者・外山滋比古氏が,中年を含めた若い層に人生訓のプレゼンテーションをしてくださいました。

選択肢がひとつしかない人生は送りたくなかったという外山氏が「年齢を重ねても,気力にみなぎる人生を送るにはどうしたらいいか。そのために,若いときからどんな心構えをもって生きればいいのか」と(「はじめに」より)。 

「気がつけば,80歳をとうに超えた年齢になっている」外山氏からの若い者へ,気力充実の秘訣を「自分は一毛作の単作人生ではなくて,二度の作つけをする二毛作人生を送ってきたからではないか,そんな思いがします」とエール,中身は六つの章から成ります。
後半の章は,これまでの著書の随所で触れている「知的生活の極意」(第4章のタイトルでもある)を,語り口調(本書は,おしゃべりの内容を文章化したとの事)で解説しています。
人生二毛作の神髄が綴られているのは,第1章と第3章。とくに私が惹かれたのは「意気軒昂な80代へ向けて」が綴られた第1章です。中でも「40代になったら『将来の仕事』を考える」「第二の人生に備えた資金づくりは30代から」「50代でもうひと苦労」の各節は臨場感アリアリです。 
このさわりをゼミの学生にも話したところでしたが,当然ですがピンと来なかったようですね。だって彼らは20歳代の前半ですから・・・。

この教示の中で,私が損ねたな! と思うのが「30代で,将来を見据えた資産形成の第一歩」。外山氏は,32,3歳のころに株式投資をはじめていたそうです。株をやる人間は胡散臭い目で見られていた時代だそうです。「株式投資にも,それなりの努力は必要です。自分の生き方に対する投資もまたまたしかりです」。

若い頃は「へそ曲がり」と言われていたそうですが,本の中でも「かつての仲間意識もやがて出世格差で薄れ,定年がとどめをさします」や「(中年以降の読書とは)誤解をおそれずにいえば,よけいな読書はしないことです」など,強烈ですが「人生二毛作の基本精神」としては,さもありなんと思うばかりです。
最終の第6章は,健康管理の養生訓が短編で綴られています。
当書のように,若人ではなく中年層を対象にした人生訓は,滅多にないですよね。
 

『人生二毛作のすすめ』(外山滋比古,飛鳥新社,2010年)1200円
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135:『京都文房探訪』 17:19
『京都文房探訪』(表紙
書名の通り,京都に点在する古い文房具店を巡って,眠っていた懐かしい文房具を購入し紹介したり,店主とのおしゃべりを綴ったイラストレーターの紀行文。紹介の文房具店は15店舗。
「ガラスケースの中には昭和の匂いをまとった筆箱や電動鉛筆削り」が在る,そんな文房具店が京都には未だ残っていることが窺えます。

ナカムラユキ氏が,その佇まいに引き寄せられるように清水一貫堂(東山区)に立ち寄ったのが作者になる話の始まり。店主の「ほんま? ええのんあるの? 好きに探してええよ」に,作者の「よく残っていてくれた! すごい!」の感動は「この日をきっかけにさらに昔の文房具へと想いが広がった」と。

左京区に在る西村文化堂では,昭和40年代の小学生定番文房具を夢中になって見せてもらっているうちに「赤いランドセルをしょったあの頃に戻って,小さくなった自分とおばあちゃんが話をしている」タイムスリップを体験。「また探しにきてな!」。こうして作者が訪ね歩いて入手した古い文房具たちは,ややセピア調に加工された写真とともに作者オリジナルの解説が付いています。

『京都文房探訪』(本文
この本では京都から車で1時間,滋賀県東近江市に在る『ガリ版伝承館』の紹介があります。「ガリ版印刷」の体験ができるようです。ささべ文具店(上京区)では「ガリ版刷り用原紙」が現存していた話もあり,「ガリ版」に並ならぬ思い入れのある私(富山)を書店のレジまで運んでくれた内容です([続きを読む]参照)。
(「ガリ版」って知らない人も多いと思いますが,昭和40年代後半までは学校の先生の必需品だった簡易印刷機です。原紙とは,その刷版です)。

ナカムラ氏は,木村紙文具店(上京区)での紹介「人と人を繋げる店。わたしの店もそうでありたいと思った」が示すように,フランス雑貨ショップ兼ギャラリーも運営しているイラストレーター。彼女は,流行が昭和40年代後半だったと私が記憶する「おこずかいで買える価格のセーラーのプラスチック製の赤い万年筆」を買って使ったようですから,私と同世代の方だと思います。そして,私にとりましても「あ,子どものころに持っていた!」的な懐かしい文房具たちが載った本です。


『京都文房探訪』(ナカムラユキ,アノニマ・スタジオ,2007年)1700円
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126:『九州レール・レディ』 21:50
『九州レール・レディ』(表紙)
大袈裟っぽいのですが「ホテル並みのサービスを目指して,ハイクラスの旅を演出する」JR九州の列車は郷土の誇り,と考える九州人は多いと思います。会社勤めの頃,地元であってもJR九州を利用できる出張は,列車に乗ること自体が楽しみでした。熊本出張では「つばめ」,長崎へは「白いかもめ」を利用しました。
第1章「みなさんは,JR九州の列車にご乗車になったことがありますか?」の書き出し,この本はJR九州の客室乗務員「つばめレディ」の方が書いている本なのです。

国鉄(日本国有鉄道)から6社に分割民営化される際,九州内の小倉〜博多間を走る新幹線は,JR九州に割譲されませんでした。小倉〜博多間の新幹線は現在もJR西日本の管轄です。新幹線というドル箱を持たないJR九州が採った戦略は「ホテル並みのサービスを目指して,ハイクラスの旅を演出」(p.73)。

『九州レール・レディ』(客室乗務員)
『九州レール・レディ』(バッジ)
かつてJR九州のCMのエンドにも登場した見送りシーン(左写真の左ページ)は感動的

民営化は1987年ですから,今の大学生は「国鉄って?」だと思います。当時「国鉄」は斜陽組織の代名詞で,利用者から見ても列車内も駅舎も古汚く前時代的,時間が正確なのが唯一の取り柄でした。JR各社の中でもJR九州はマイナス資産からのスタートだったことは,九州人なら誰しも認識していたものです。
第3章「弱点を,武器に」は,まさにJR九州の「不安なスタートにより,危機感をバネにいろいろ考えた成果」(p.88)を内部の視点で描いています。
ここで彼女が「実はJR九州はハード面で,他社にない大きな魅力があるのです」と自慢げに紹介しているのが乗客の立場で設計され尽くされている列車のデザイン。デザイナー水戸岡 鋭治氏のJR九州での成果です。そしてソフト面とは民営化直後に「キャビンアテンダントに負けないサービスを目標に」(p.68)誕生した彼女のしごとである客室乗務員。

本の後半(第4章〜)からは,このJR九州の客室乗務員に憧れ,入社試験を受け,厳しい研修を経て,天職ともいえる現在の業務のやりがいが綴られています。このような想いを持った方が客室乗務員として,列車で接してくれていたんだ! と感動も新たになります。特急つばめ(博多〜鹿児島)のインパクトから当時は「つばめレディ」と呼ばれていました。その後,JR九州のハード・ソフト面は独自のデザイン観を生み,現役の「九州レールレディ」の作者がJR九州ワールドを紹介するまでになりました。2004年には「九州新幹線つばめ」も誕生しています。
小さなコーヒーカップから乗務員のファッション,車内の調度品に至るまでの水戸岡ワールドは,九州各地を列車で旅することで体験できます。


『九州レール・レディ』(奥村美幸,メディアファクトリー,2008年)1000円
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108:『広告放浪記』 13:11
108『広告放浪記』クリックすると帯が読める程度に拡大

偶然に立ち寄った書店では,思いがけない本に出逢うことは以前にも書きました。先週,学生の教育実習先を訪問した折,名鉄・西尾駅前の書店で見つけた『広告放浪記』について。

作者・浅暮三文氏の「門前払いばかりの野良犬のような飛び込みセールスマンの僕」の自伝的小説。
新聞広告の媒体扱いを主とする大阪のM広告代理店に勤める主人公・アサグレ君の入社から約4年間ほどの回想を綴った作品です。
作者・浅暮氏が1959年生まれですから,舞台は1980年代の始め。ちょうど私(富山)の社会人スタートと同時期です。描写されている社会情勢や事件に合わせ,その頃の自分の姿と重なります。
アサグレ君に劣らず,広告の仕事が何たるかも知らない私(富山)は,上司から「どうしようもない世間知らずの新入社員だな!」と呆れられた日々を回想しながら読み入りました(主人公と同様,私も社会人のスタートは広告関係でした)。

アサグレ君は,飛び込みセールスで開拓したビジネスホテルの営業が実り,新聞広告が掲載されると「ふてくされていた飛び込みセールスの仕事にもう少し真面目に取組んでみようかと考え直した」のでした。
運命は,たまたま立ち読みした『宣伝会議』(広告業界で知らない人はいない雑誌),そこのコピーライター養成講座に強い意志で入学。昼は行ってこいの野良犬営業マン,夜は授業そして課題,さまざまな講師筋から,さまざまな知識と体験を吸収していきます。「学生時代にはこれほど学ぶことが楽しいといった体験はなかった」と。
舞台となっている1983年当時,まだコピーライターという職業は世間で認識がなかった時代ですが,数年度にはコピーライター大ブームが起きたのを,この本で思い出しました。確か1985年頃のことです。
話の顛末は,読んでからのお楽しみ・・・

作者・浅暮文三氏は,かつて開高 健や山口 瞳がコピーライターからそうなったように,現在は作家。
イニシャルで登場する会社や人物が何となく特定できてしまうリアル感は,読者が広告人なら更に面白さが増すでしょう。

本日は,当ブログとしてはレアな文学作品の紹介でした。

『広告放浪記』(浅暮文三,ポプラ社,2008年)1600円
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30:『天才数学者たちが挑んだ最大の難問 ── フェルマーの最終定理が解けるまで』 19:51
天才数学者たちが挑んだ最大の難問
自分の知識のなさを露呈するようですが「フェルマーって人の名前?」「何で,最終定理って呼ぶの?」「それで解けたの?」── こんな程度から読書を開始しました。
数学の「歴史」と,「数学」の話の二系列から成り立つノンフィクションです。
「数学」の方は,nがナントカとか,複素平面やモジュラー形式とか,チンプンカンプンでした。一方「歴史」の面では,古代ギリシア時代から1993年6月23日まで,また,法律家(高等法院の法官)・フェルマーが趣味としていた数学のメモの逸話などを知ることができ,少し知識が増えた感じです。

古典の数学書『算術』のラテン語訳を愛読書としていたピエール・ド・フェルマー(1601〜1665年)が,その余白へ書き込んだ定理 ── これは19世紀初めまでに一つを残して全て解明されていたのですが,一見して簡単に見える定理だけが残り,後に「フェルマーの最終定理」と呼ばれます。
フェルマー自身の「それを記すには余白があまりにも小さすぎる」と中断されて以来,350年もの間,いろんな数学者が挑戦してきました。この間,学者たちの醜い足の引っ張り合いや,証明後の今になって評価された日本人数学者の50年前の理論など,私が,ひとかけらも知らなかった話が綴られています。

私の関心事は,本筋とはあまり関連がないのですが,全ての初まりがフェルマーの「蔵書の余白への書き込み」という落書きにあった点です。この書き込みは,その重要性を認識していた彼の息子によって刊行されましたが,フェルマー自身の手書きメモは,いまだに発見されていないそうです。

『天才数学者たちが挑んだ最大の難問 ── フェルマーの最終定理が解けるまで』(アミール・D・アクゼル/著,吉永良正/訳,ハヤカワ文庫,2003年)580円
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28:『転校生 オレのあそこがあいつのアレで』 12:56
転校生
ストーリーは,児童書『おれがあいつであいつがおれで』(山中 恒,1979年)が下敷きになっています。本家・山中作品は,映画『転校生』(大林宣彦/監督,1982年)の原作にもなっていますので,こちらの方がピンと来る人が多いのではないでしょうか。

映画のタイトルとモト本の書名をもじったような,この『転校生 オレのあそこがあいつのアレで』は,展開もほとんど同じ。ふとした弾みから体が入れ替わってしまった高校生の戸惑いを描いていますが,モト作品との違いは,これが漫画で描かれていることと,体の一部だけが入れ替わったという点でしょうか。

一見,エロい本のようにも捉えられがちでしょうが,新聞の書評欄に「ジェンダーやセクシャリティの問題に一石を投じながら,おバカな青春娯楽作としても理屈抜きに楽しめる」(『朝日新聞』2006 3/5)と紹介されてもいます。「軽く受け流していただきたい」という締めの詞がある[あとがき]には,作者・古泉智浩氏のジェンダー論も書かれています。

『転校生 オレのあそこがあいつのアレで』(古泉智浩,小学館,2006年)1095円

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25:『少年Mのイムジン河』 12:29
少年Mのイムジン河
少年Mのイムジン河(本文)
映画『パッチギ』(井筒和幸・監督,シネカノン・配給,2005年)の中,いろんなシーンで「イムジン河」が日本語訳詞と原詞で歌われたのは歴史的なことだったと思います。映画は,先ごろTVで初公開もされました。映画の原案本となったのが,この『少年Mのイムジン河』です。

映画での喧嘩シーン「発売も放送も禁止されとるんやで・・・要注意歌謡曲になってんやど」「バカ,どんな理由があろうとな,歌ったらあかん歌などあるわけないんや」が示すように,当時,本当に発売中止・放送「禁止」となった曲です。
もとは北朝鮮で作られた愛国の歌でしたが,日本では平和を歌うフォークソングとして,松山猛 青年が日本語訳詞した歌でした。1968年当時,京都の学生フォークグループがコンサートで歌いました。しかし,時の政治的な背景から社会的に封印され,ごく最近(2002年CD「イムジン河」発売)まで幻の曲だったのです。

本では,この曲にまつわる10代の松山少年の回想と,コンサートで歌われた当時の社会情勢と松山青年,そして現在の松山氏の心境が「長いあとがき」として綴られています。
「おせっかいな隣国の若者が,わけもわからず正義感に駆られて,センチメンタルな歌として身勝手に手を加え,世に送り出したと考える人があっても仕方ない」── この深い部分こそが,映画の原点になっているようにも思います。

映画では「悲しくてやりきれない」(オダギリジョーでのリバイバル)も流れています。
本では触れていませんでしたが,実は,この曲は「イムジン河」が発売中止になった複雑な心境を歌った曲といわれています。学生フォークグループとは,加藤和彦氏(「あの素晴らしい愛をもう一度」作曲。現在・音楽プロデューサー),北山 修氏(「戦争を知らない子供たち」作詞。現在・精神科医)らのザ・フォーク・クルセダーズです。少年Mとは,エッセイストで作家の松山 猛氏です。

『少年Mのイムジン河』(松山 猛,木楽舎,2002年)1000円
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